被爆から10年。骨髄異形成症候群の怖さ
私の父は、骨髄異形成症候群により亡くなりました。キン肉マンのような体型で、風邪の辛さも知らないような人でした。
骨髄異形成症候群とは
白血病に似た病気で、正常な血液細胞(赤血球、白血球、血小板)が上手に作れなくなる病気です。どの血液細胞が作れなくなるかによって症状は様々なようです。
症候群と名のつく通り、病気を治す手立てが確立しておらず、対処療法となりました。
発見から治療
3月末、普通の風邪から肺炎になり、白血病疑いで入院。4月初旬には骨髄異形成症候群を知る先生にあたることができ、転院。父の場合は、熱が常に出ていて、酸素が血液細胞減少で運ばれにくくなる為、酸素が取り付けられていました。熱と酸素濃度の低さなどで、しんどくて起き上がれず、薬でずっと眠っていて、後半は何度か発作を起こしていました。
病気は治るのか
先生の見立てでは、足りない血液細胞を輸血し続ける事で数年生きられるだろうという見立てでした。また、骨髄移植によってそれが伸びる可能性もある、とのことでした。
原因は
まだ解明されていませんが、遺伝子の異常と書かれていることが多く、また放射線をあびて被爆したことにより遺伝子の異常が起こり、被爆から何年か経ってから発病することもあるということでした。
震災による被爆
父は、研究者でした。放射線を扱うこともあり、震災時に被爆した覚えがあるとのことでした。
この記事について
私は、父の病気について長く記事にするか悩んでいました。でも、東日本大震災から10年以上が経ち、原発事故周辺に関わった人たちに、この病気を知ってもらいたいと思いました。
また、家に帰れない辛さ、家族同然の動物たちを置いていかなくてはいけなかった状況は耐え難いものだったと思いますが、放射線による被爆は、原爆のように一瞬で亡くなるだけではないと知っていてほしかった。
少しの被爆でも、命を落とす病気にかかる可能性があったから、一刻の猶予もなかったのだと知ってほしかった。その場を離れた事で自分を責め続ける人の言い訳に少しでもなればと思いました。
原子力発電
私は、この経験から、原子力発電の利用に反対です。
まだ、人が扱うには早すぎたんだと思います。コントロールが出来ていないのに、莫大なエネルギーが使えるからと利用するにはリスクが大きすぎる。原子力発電がないなら、どんなに大変でも、ないなりの生活を送る方法を模索する方がいい。
父のその後
結局父は、発覚から2ヶ月、5月末に亡くなりました。延命治療はしないという本人の希望もあり、短い入院期間でした。55歳でした。
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