性別違和を家族にカミングアウトしてよかったこと(私の場合)

この記事はカミングアウトを推奨する記事ではありません。

カミングアウトで上手くいった話は私のまわりでは殆ど聞きません。なので、私は「特別運がよかった」と思ってください。まわりでは、家族崩壊や、絶縁などされて独り立ちを余儀なくされている人も多いです。私の話は、理解者が増えてそれがある種の「普通」になったらこうなるのに、という願いを込めて書き記します。

性別違和について

「性同一性障害」という言葉は広く知られるようになりました。しかし、病気のイメージが強く、欧米では不評でした。精神疾患の分類には、アメリカ精神医学会のDSMと世界保健機関(WHO)のICDという二つの代表的なものがあります。2013年にDSM-5では「性同一性障害」が「性別違和(Gender Dysphoria)」に変更され、2019年には「精神障害」の分類から除外されICD-11で「性別不合(Gender Incongruence)」に変更されました。

初めてのカミングアウトは中学生

小学5年生くらいから、周りと自分が違うという事に気づき始めました。女の子とも男の子とも遊ぶ相手は選ばなかったし、遊び方もいろいろで廊下を走り回っては怒られてたような奴でした。それが中学にあがり、制服が与えられ、女子は男子と遊ばないし、男子は女子と遊ばなくなり私の立場はなくなっていきました。

たまたま、手にした「性同一性障害」という本に自分に近い話が書いてあり、驚いたことを覚えています。その頃は、なんでもかんでも母親に話していた頃なので、母に思い切って自分もそうかもしれない、と話しました。
母も「性同一性障害」について知っていましたがその時に言われたのは「もう少し考えてみて」。

30代に入り一人暮らしから実家に戻り、適応障害でしんどかった時に、母から「なんでも話しなさい」と言われました。私がしんどい事や思った事をその年齢になると言わなくなったからでしょう。
そこで、性別違和があることをもう一度話しました。そうすると驚いた様子で「まだ考えてたの」と言われ、どこまで(戸籍変更や、ホルモン注射、胸オペなど)したいのかという話になり、不穏にならずに済みました。

カミングアウトして変わったこと

1番身近である親が味方になってくれたという事が心強く、それだけでも肩の荷が降りた気がしました。そこから「結婚はいつなのか」「子どもはいつできるのか」と言われなくなり、代わりに「いいパートナーに逢えたらいいね」と言われるようになりました。

新しい情報を共有

母は性同一性障害から名称が性別違和に変わったり、LGBTQに関する新しい映画が出たりすると教えてくれるようになりました。

胸オペに付き添ってくれる

私にはパートナーはいませんが、母が率先して胸オペをするなら岡山かな?などと言いながら小旅行だと喜んで付き添ってくれるそうです。

服装も変えました

それまで我慢して着ていた女性服を全て捨て、紳士服売り場で服を選ぶようになりました。下着もレースをあしらったものから、スパッツのような物に変えたり一変しました。

名前も一緒に考えてくれました

元々は自分で名前を考えていましたが、どうせ親が反対していないのならと一緒に考えてもらい、今はその名前で普段呼んでもらっています。

髪は短髪に、してから戻しました

カミングアウトしてから気分が高揚して、長い髪を男性風に短くしました。これは、現在後悔して伸ばしています。何故なら、小さい頃から憧れたギタリストが髪が長かったから。気分が落ち着いてから、バイアスに気づいて、伸ばしたっていいなと思えるようになりました。

無理をせず自分らしく

我慢していた所や、無理していた事から抜け出せたように思います。理解してもらえるとは、こういうことなのかと実感し、博学な母に感謝しています。

(父が生きていたらどうだったでしょうね 笑)

この記事をシェアする

関連記事

なぐログ
   

ナクジイ

猫4匹と同居。中学生から独学でWeb制作を始め仕事として10年ほど。Web制作依頼でお困りの方にも相談しやすく伴走したいと思い制作ノウハウだけでなく依頼者向けのコンテンツを提供。訳あって週4勤務中。おっとりしてそうに見えるらしいが、結構じっとしていられないタイプ。

Page Top