
私にとってのSecond Life

Second Lifeといえば20年ほど前に一部マニアックな人々に人気のあった3DCGの所謂アバターゲームである。通称「リンデン・ラボ」が創造したSecond Lifeは私にとって人生のカケラとして今もしまってある。
10代後半の悩み多き時期の居場所
Second Lifeでは、子どもアバターでジェスチャー(動きや絵文字、音を組み合わせたようなもの)でしか殆ど喋らない変な人物として生活していた。
今思えば、まわりは年相応の格好をしているのに、ジェンダーが選び切れず子どもアバターでしか表現する事ができず試行錯誤していたと思う。音声チャット機能もあったが、中の人の性別を表したくなくて殆ど喋らなかった。というか、喋れなかった。
それでも学校での居場所がなかったりした時に、必ず誰かがいたその空間は私にとってかけがえのない空間だったことは確かだ。
誰もいなくても、ただログインして街を眺める
当時は、誰にもカミングアウトできなかったが、変人としてでも受け入れてくれる人たちが当然のようにいてくれる空間は、それだけでも息抜きができるようだった。
当時「本人の言いたくないことは聞かない」というのがSecond Lifeのルールだった。これがきっと合ったんだと思う。みんながみんな、そのルールを守っていたから、話しやすかった。
建築をする人、アクセサリーを作る人、カフェを作る人、みんな思い思いに好きなことをしていた。私も、プログラムを書いてみたり絵を描いてみたり、ただ友達と遊んだり。
本当の中の人は知らないという関係

歪といえばそうかもしれないけれど、だからこそ本当の自由があったと思う。そして、一部の仲間とは実際に会い、今でもたまにコンタクトを取る。
本当は、男性だったのね、とか思いがけない発見もあるけど、それも関係ない。アバターを通した中の人たち。誰も性別や見た目に何も言わない。
今はログインしても、知り合いは殆どいなくなってしまったが、その時代に知り合えた仲間や時間を大切にしたいと思う。
そしてアバターも私自身の一部であると今ではそう思える。
関連記事