災害を忘れること、理解すること
私は覚えています
阪神淡路大震災で、揺れる寸前に地鳴りがしたことを。家から出る際に窓際にあった小さな鉢植えが全て落ちてその上を裸足で降りたせいで血だらけになったこと。外に出るとガス臭く、公園に避難したこと。タンスやブラウン管の重いものが倒れたこと。食器がほとんど割れたこと。
同じ小学校で亡くなった生徒がいたこと。新幹線の高架が落ちたこと。祖母の家が1階が押し潰されてその中から祖父のお位牌と猫を救出したこと。ビルが斜めになっていたこと。
西宮北口駅の北側にあるアクタが、震災で焼けた商店街があった場所でアクタと改名される前はポンテリカ(逆に読むと仮店舗)だったこと。
30年となる今も苦しむ人がいる
今年は、震災から30年です。長い、と感じる人もいますが、今も亡くなった人を思い出し涙する人々が大勢います。通常、父や母、ましてや子を失うという経験は、どんな形であったとしても自分の中で納得するには時間がかかることだと思います。
でも、災害は命だけでなく思い出さえも全て奪い去ります。
教訓は大切です。でも記憶は。
被害を最小限に抑える、避難所を穏やかな慰めの場にするために教訓として覚えておくことは大切です。
けれど、生々しく刻まれた瞬間は誰もが経験しなくてもよかったものです。街全体が燃える光景も、東日本大震災のように家も人も流されていく光景も、1度も観なくて良かったものです。味合わなくてよかった苦しみです。
生き残ってよかったのに、生き残ってしまったことを悔いてしまう人もいなくてよかった。
目の裏に焼き付いて、一生ついてまわるような忌まわしい、悲しい記憶は、多くの人の人生を狂わせてしまったと思います。
まだ多くの人が追悼式で刻まれた名前に触れ、存在を確認し、涙しています。
震災を知らない子どもたちが大人になりました。それでも、まだその渦の中に生きています。なんて哀しいことでしょうか。
教訓は大切です。でも、その記憶は早く穏やかに霞んでいくことを願います。辛い想い出ではなく、あくまで教訓として。記憶に残すのはそれだけでいい。
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