適応障害発症の経緯と休職の流れ
通院1年。よくドラマでも聞く「まさか自分が?」のまさかでした。
前兆
何年か仕事が忙しく、常に全力疾走してるような感じでハイテンションで毎日残業したりお昼休憩返上して没頭してました。上司にも「忙しすぎる」とは伝えていたものの本気で伝わっておらず変化なし。
ある時、アルバイトの担当になり足りない時間がもっと削られてしまった辺りで変化が起こりだした。
・2時間ごとに目が覚める
・真夏なのに寒くて毛布をかぶっている
・仕事の愚痴を言う
・イライラして物にあたる
でも、自分ではまだ異常だと気づいていなかった
診断
カレンダーを振り返れば打合せとアルバイトの対応に追われて自分のメインの仕事が進まない状況なのは一目瞭然なのに、それに気づけず、先輩に「自分はもう仕事を続けられないかもしれない」と相談。自分は能力がなくてもう駄目だと思っていた。
上司へそれが伝わり、急遽面談。2ヶ月後に1ヶ月休むことになり、それに向けて自分の仕事の後始末と引き継ぎをこなすように。
同時に心療内科を受診し、適応障害と診断。今すぐ休むことはできないかと指示を受けるも、自分はそれでも大丈夫だからと薬を飲みながら仕事を続ける。
でも、日に日に状態は悪化し、立っているのもフラフラして物に捕まらないと歩けなかったり、ボーッとして意識がどっかに行っていたり、常に吐き気があり、実際に吐いたり、不眠は悪化。
前倒しの休養
もう傍目でも普通状態ではくなっていたので、月末に繰り上げて休むことに。その時はもう椅子に座ってることもしんどくて、頭をあげてモニターを見ることも難しい状態で仕事をしていた。それでも、自分はなんとか仕事を終わらせる、迷惑をかけられないという一心でデスクに向かっていたが、ついに食事が取れなくなった。口に入れても飲み込もうとすると吐き気で食べられない。
自殺願望が強まっていた。
動けない日々
なんとか休養に入った途端、体が重く感じて動くことができなくなってトイレと食事以外横になっていた。太陽を見るのがいいとか、散歩がいいとかいろいろ調べてもそもそも動けず何もできなくて1ヶ月、2ヶ月が過ぎた。
やっと数時間起きれるようになって、散歩に挑戦するも足がでない。腰がまがって猫背でまるでおじいちゃん。マジで杖が欲しかった。家の周りを一周するのでも精一杯。
でも、そこらへんでやっとリラックスが段々できるようになってきて3ヶ月目にはなんとか近所の公園まで行けるようになった。
上司との面談もその頃から行うようになり、私の仕事復帰は週1数時間からゆっくりと始まった。
難航する復帰
1ヶ月で完治するわと軽い気持ちでいた自分でも、流石に3、4ヶ月たっても完全復帰といかず焦りがでてきて、夜になると寝汗で何度も起きるようになる。汗が冷えて寒くて目が覚める。2、3回着替えてビショビショの布団を裏返して寝たりしていた。
結局、フルタイムに復帰するのに半年くらいかかり、1年たってもまだ心療内科に通って、不眠と寝汗の調整を行なっている。なかなか難しい。
最後に
なんでこれを書いたかというと、喉元過ぎればですぐ忘れてしまいそうだったのと、単純に体験者の記事がネットであまり見つけられなかったから。適応障害は、人によって症状は様々だと思うけど、せっかく(?)経験したので記録しておきたいと思う。
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